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最高裁判所第二小法廷 昭和33年(オ)517号 判決 1961年12月15日

上告人 山下清

被上告人 武田信良

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐々木曼の上告理由第一、二点について。

本件は昭和十八年十二月三十日上告人の二男勝義から本件宅地をその地上建物と共に買い受けた被上告人が、同二十四年一月一日右勝義の死亡による相続によつて右勝義の売買契約上の債務を承継した上告人に対し、右契約にもとづき本件宅地の所有権移転の登記を請求する訴訟であることは記録上あきらかである。すなわち、被上告人の本訴において請求するところは、上告人が相続によつて承継した前記勝義の所有権移転登記義務の履行である。かくのごとき債務は、いわゆる不可分債務であるから、たとえ上告人主張のごとく、上告人の外に共同相続人が存在するとしても、被上告人は上告人一人に対して右登記義務の履行を請求し得るものであつて、所論のごとく必要的共同訴訟の関係に立つものではないのである。

であるから、原判決が、所論本案前の抗弁を排斥したのは結局正当であつて、上告人の外に共同相続人があるかどうかに関する原判決の判示は本件において不要の論議に過ぎず、従つて、この点に関する上告人の論旨については判断の要を見ない。

同第三点について。

論旨は原判決が適法にした証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに過ぎず、上告適法の理由とならない。よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助)

上告代理人佐々木曼の上告理由

第一点 原審は上告人の「仮りに控訴人(被上告人)の主張するように本件宅地について被控訴人(上告人)との間に売買がなされたとしても本件宅地はもと被控訴人(上告人)の二男山下勝義の所有であつたところ同人が昭和二十四年一月一日死亡したので被控訴人(上告人)は戸籍簿上勝義の母である妻山下マツと共に勝義の直系尊属として共同相続し昭和二十九年十二月二十日附を以て所有権保存登記も終了して本件宅地は現に二人の共有に属しているしよしんば山下マツが真実勝義の母でないとのゆえを以て相続人でないとすれば勝義の生母は訴外南スナであつて同訴外人は現在生存しているので被控訴人(上告人)は同訴外人と共に勝義の両親として共同相続し二人の共有に属すべきものである、それで山下マツ或は南スナを除外し被控訴人(上告人)ひとりを相手方として提起した本訴は当事者適格を欠ぎ不適法として却下を免れない」との本案前の抗弁につき次のように判示した即成立に争いのない甲第九号証によると右勝義は戸籍簿上昭和二年九月三十日被控訴人(上告人)とその妻山下マツ間に出生した嫡出子として登載されていることを窺知し得るが当審証人瀬尾静恵(第二回)、南スナ、山下マツの各証言原審及当審に於ける被控訴人(上告人)本人(原審は第一回、当審は第二回)尋問の結果によると右戸籍簿上の記載は誤りであつて勝義は山下マツとは母子関係はなく同人は被控訴人(上告人)と訴外南スナとの間に前同日出生した非嫡出子であり妻子もなく昭和二十四年一月一日死亡ししかも成立に争いのない甲第二十五号証によると生前母たるスナからも認知されていなかつたことが認められ右認定の支障となる証拠はない。

しからば勝義との間に血縁関係も養親子関係すらもない山下マツは勿論のこと真実母であつてもわが民法の要求する認知をしていない南スナはいずれも勝義の死亡により法律上その直係尊属たる資格においてこれを相続することはできずひとり被控訴人(上告人)のみが勝義の生前その未成年者の当時の親権としてその財産を管理し財産に関する法律行為についてこれを代表しその死亡により直係尊属として単独でその財産に属した一切の権利義務を相続承継したものといわざるを得ないしかくては勝義の死後六年近かくも経過ししかも記録上明かな本訴提起後なされた冒頭の所有権保存登記は山下マツの持分権取得について何等の立証もされていない本件においては直実の権利関係に符合しない疑が存するのでこれあるからといつて被控訴人(上告人)ひとりを相手方として提起された本訴が当事者適格を誤つた不適法なものとなるわけはないという。

しかしながらわが民法は親子関係について英米法の自然血縁親子主義を採らず仏独法系の親子の自然血縁とは別に親子として社会的に遇せられるに値するものを法律上親子として取扱い血縁の立証あるところに当然に法律上親子関係を認めないと同時に血縁のないことが如何に立証されても親子としての法律上の地位を不動のものとする制度を採る即国家社会の良俗秩序維持の政策上真実自然の血縁関係そのものを以て法律上親子とせず親子としておく価値あるものを法律上親子として遇し価値なきものを法律上親子たらしめず単に事実上の親子たるにとどめるのである。而して戸籍は唯一の身分公証の制度として存し戸籍簿に登載されたその身分関係は適法なる手続によつて訂正されない限り公証力を有し裁判上裁判外その身分に於て権利義務の主体として処遇されるべきであり又そうでないと国家社会生活上秩序の維持取引の安全は期せられないし戸籍法の精神法意も亦そこにあるものと解さねばならない。

このことは戸籍法二四条に職権訂正の規定を設け同一一三条、一一四条、一一六条、家事審判法第二三条に家庭裁判所の許可審判、確定判決或は家庭裁判所の審判による当事者申請の規定を設けている点等から考え併せ容易に理解出来るところである。

果してそうだとすると原審も認定しているとおり戸籍上勝義の父母は上告人と訴外山下マツで而も原審証人山下マツの証言により判るように同人と勝義は親子の意識の下に親子としての生活をしていたものであり且本件土地はもと右勝義の所有で昭和二十四年一月一日同人死亡により戸籍上その父母である上告人及山下マツが共同相続し共有物件として法律上取扱うべきであり、又そう取扱うことは反つて第三者に不測の損害を与えるものでないので右両名を相手方として訴を提起すべきであり若し上告人一人を相手方として訴を提起せんとせば先ず以て被上告人に於て利害関係人として適法に戸籍を訂正した上でなければならない。

若しそれ原審のいう如く山下マツと勝義が事実上親子関係がないゆえを以て戸籍訂正もなく直に親子関係を否認し得るものとすることは自然血縁主義を採る英米法の考え方によるものでこの考え方を貫けば南スナは勝義の生母でありそのことは原審も亦認めているところであるから戸籍上認知の届出の有無にかかわらず之亦親子として認めなければ理が一貫しない。要するに原審は戸籍法の解釈を誤り上告人の前記本案前の抗弁を排斥した法令の違背がありこの違背は判決の結果に影響を及ぼすこと明かで将に原判決は破棄すべきものである。

第二点 原審は前記の通り上告人の本案前の抗弁を排斥するに当り上告人が本件土地の所有権者となつた経緯につき本件土地はもと勝義の所有であつたこと及同人が昭和二十四年一月一日死亡した事実を認めた上山下マツは戸籍上勝義の実母といふことになつているが実際の血縁関係も養親子の関係もないし又南スナは実際の生母であつても認知していないから法律上の親として処遇すべきでなく相続権はないので上告人一人が勝義の父として単独で同人の財産を相続取得したものであるといつており反面山下マツが仮りに法律上実母として処遇さるれば同人も亦相続権があり上告人と共同相続し共有権者であることを肯定しているものといわねばならない。

然るに後段説示に於て勝義の死後六年近くも経過ししかも記録上明かな本訴提起後なされた昭和二十九年十二月二十日附所有権保存登記は山下マツの持分権取得について何等の立証もされていない本件においては真実の権利関係に符合しない疑が存するといつている成程乙第四号証の登記簿謄本によれば甲欄に於て保存登記の日は昭和二十九年十二月二十日になつているが乙欄には昭和十八年十二月二十九日附で山下勝義が所有権者として被上告人のため鹿児島信用組合に債権限度額金一万五千円の根抵当権設定の回復登記の記載があり又乙第三号証によつてみても本件土地の保存登記は右昭和二十九年十二月二十日の保存登記前に保存登記があつたことが判り従つて後の保存登記は登記簿焼失のため新しくなされたものであることを窺えるので昭和二十九年十二月二十日保存登記がされていることによつて山下マツの持分権取得につき真実の権利関係に符合しない疑をさしはさむのはおかしいがそれは免も角そういう見方は前の見方と条理上相反するもので許さるべき筋合のものではなく右判示は理由にくいちがいがあることに帰し原判決は破棄すべきである。

第三点 原審は本案の争点である本件土地が上告人主張のように担保貸か被上告人主張のように売買かの点につき原判決説示の通り売買である旨判示した。

凡そ証拠力の価値判断にあたり書証と人証と存する場合その成立が認められ文意が明かである以上書証を以てより証拠力あるものとすることは採証法の原則であるべきである。

今本件につきみるに右争点に関する直接の書証として存するものは唯乙第一号証のみであるがこの成立は第一審に於ける鑑定人川上栄、堀井惣七、東久吉原審に於ける鑑定人小川三千雄、進藤、芝山五名の各鑑定の結果(原審における鑑定人佐伯宗時一人の鑑定の結果のみは反対である)第一審証人平野市之助の証言の一部第一審及原審における上告人本人訊問の結果を併せ考えれば当然被上告人の作成したものとして認むべき筋合のものである。

原審は第一審証人平野市之助の証言の一部第一審並に原審証人瀬尾静江の証言甲第五号証の一、二、甲第七号証を捉え来り前記佐伯宗時の鑑定の結果があるを幸判示の如く乙第一号証は上告人と平野市之助と通謀して作成したものであるとその成立を否定しているが第一審もその判示中に云つている通り平野証人の証言は前後相矛盾あいまいで信用出来ず瀬尾静江の証言も同人はその証言により明かなように現に上告人を相手取り訴訟中のもので而も喧嘩別れした内縁関係にあつた女で上告人に敵意をもつものである点から考えその証言は直ちに信を措くべきでないことは社会通念上明かで又甲第五号証の一、二も前記鑑定人川上栄、堀井惣七の鑑定の結果によれば乙第一号証と甲第六号証と同一筆跡でその日附もないし被上告人と平野市之助と通謀爾後事件にそなえ成作された疑もいだかれ甲第七号証と事があつて約一年後のもので之亦将来のことを考え殊更に保険申込をしたものと考へも成り立ち従つてこれ等の証拠を以てした右成立否認は誤りである。

前述のとほり乙第一号証の成立を認むべきであるとすればその文意により本件土地は被上告人が有限責任鹿児島信用組合より金員を借用するにつき当時の所有権者であつた山下勝義の親権を行う父である上告人が担保として貸したことが極めて明瞭であり而も原審が認定しているように金壱万円の受授が昭和十八年十二月二十九日で乙第一号証の日附がその翌日の十二月三十日である点に鑑みると事理が合い疑をさしはさむ余地がない。

なほ原審は右受授された壱万円につき上告人の「右金員は右と同時頃上告人との間に売買された鹿児島市塩屋町の建物の代金八千円と右貸担保料二千円として受取つたものである旨」の主張を判示の通りの理由で斥けその証拠として甲第一、二号証殊に同第二号証が控訴人の手中に存する事実第一審証人平野市之助の証言の一部原審証人中村新蔵第一審並に原審における控訴人本人訊問の結果を引用している。

ところで甲第一号証は第一審並に原審における上告人本人訊問の結果により明るように右建物の売買金額は税金登録税の関係で殊更に五千円としたものであり乙第二号証の公正証書については貸主である第一審証人高牟礼清信の証言によれば、全然関知しないし金を貸したこともないと云つている点並に弁論の全趣旨から考へると一応被上告人に於て前記平野証人と相談の上高牟礼清信から金借すべく公正証書を作成その謄本を持つて高牟礼清信のところに行つたが断られそのまま自己の手裡に保管していたことが窺知されるし又平野証人の証言も前述の通り全面的に信を措けないもので斯様な証拠を以て上告人の主張を排斥することは当らない。

凡そ実質的証拠力の有無判断は裁判官の自由心証によるべきであるがそれはあくまで経験則に従つてのものでなければならないことは民事訴訟法第一八五条の法意とするところである。

原審は前述の如く経験則に反し証拠の取捨選択を誤り事実を誤認するに至つた証拠法違背の非違がありその違背は判決の結果に影響を及ぼすこと明かで破棄すべきである。

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